2018/05/30

マンスリー一軒家のご紹介

マンスリー一軒家のご紹介

マンスリー一軒家のご紹介

蔵満

アットインの創業メンバーの1人。
悪魔超人ジャンクマンをこよなく愛する男。 一貫してピンクのワイシャツしか着ない時期があり、その小話を得意気に語る姿がステキ。

アットイン 営業統括グループの藏満です。

 

もうすぐ梅雨ですねー。

ジメジメと蒸し暑いこの時期は本当に嫌いです。

誰か自分の周りだけ除湿してくれるポータブル除湿機を発明してくれませんかね。

 ↓この中はすっごい快適なやつ。

 

 

 

こんな私にとって嫌な時期ですが、今年は特別な年になりそうです。

 

新しくこんな物件の取扱をはじめました。

 

その物件の外観はこちら。

 

 

渋い…。渋すぎるゼ。

このフォルム、佇まい、タダモノじゃねぇ。・・・ゴクリ。

 

 

こちらの物件は名古屋駅の近く、「四間道」(しけみち)という場所にあります。

 

四間道(しけみち) とは

慶長15年(1610年)に名古屋城築城と共に始まった清須越しにともなって商人達がこの地に住み着いて作られた商人の城下町として始まり、最初の「名古屋」の街の誕生となった。元禄13年(1700年)の大火で1600軒余りが焼失し、その後尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、中橋から五条橋までの道幅を4間(約7メートル)に拡張したのが始まりである。 このことから四間道と呼ばれるようになったという。

この通りは、当時の熱田から岐阜へ向かう街道「美濃路」の1つ西側にあり[3]、堀川から数えて西に2本目に当たるものである。

延焼を防ぐ防火壁の機能を持たせるため、尾張藩が通りの東側に石垣の上に土蔵を建てることを奨励したことから、土蔵造りの並ぶ街並みが形成されたとされている。

1945年(昭和20年)の名古屋大空襲時の那古野地区は、被害が比較的少なく破壊を免れた為、四間道には多くの古い町屋や土蔵など古い町並みがそのまま残った。戦後、名古屋市の都市開発などの影響で幾つかの古い町屋や土蔵は取り壊され、マンションや住宅、駐車場になった所があるものの、現在に至るまで多くの白壁の土蔵が連なり、2階に屋根神様が祀られている古い町屋も多く残っている。

この古い街並みが残っていたことから、1986年(昭和61年)6月10日に名古屋市の街並み保存地区に指定された。

元々は、中橋から五条橋までの堀川の西側にある地区を指していたが、南の浅間神社から北の円頓寺商店街のアーケード入口までを名古屋市が街並み保存地区に指定したことから、その保存地区の一帯をさすことが多くなった。

名古屋市の散策コースとして、近くの円頓寺商店街などとともによく取り上げられている。 2007年には那古野界隈の活性化を担って「那古野下町衆(那古衆)」が結成されたほか、2009年には空き家が目立っていた円頓寺商店街と四間道の那古野地区の町作りと空き家対策の活性化を目指して、那古野地区店舗開発協議会(通称ナゴノダナバンク)が発足した。以後、四間道では土蔵や古い町屋が改装され、カフェやレストラン、飲み屋、雑貨屋などに利用されているところも多く、注目のスポットともなっている。

wikipedia「四間道」より引用

 

みなさん、名古屋の街の中、しかも名古屋駅からほど近いエリアにこんな素敵な場所があること、ご存知でした?

本当にたくさんのおしゃれなお店や素敵なスポットがあるエリアなんです!

名古屋駅近くに来た際には是非散策してみてください。

 

 

どんな物件?

築100年以上の長屋、いわゆる「古民家」です。

本当に古い建物で(といってもこのあたりのエリアはこのふるさの建物がいっぱい残っています。)、味のある素晴らしい建物です。

 

この建物は四間道・円頓寺商店街界隈に住む人達の熱い想いで残った建物です。

入居者がいなくなり、取り壊されそうになったところをクラウドファンディングによる有志の皆様の協力により古い建物の雰囲気はそのままに、新しい息吹が含まれる事となりました。

 

 

この物件の中を大公開!

 

 

 

いやー、素敵な雰囲気ですねー。

 

私もこちらの物件、大好きです!

 

現在はお部屋の中の備品類を準備中です。

 

 

是非、名古屋滞在の際にはこちらの建物を検討してください!

 

 

なごやど~尾張・四間道~