2016/02/24
日本の伝統行事~3月3日ひな祭り
あかりをつけましょぼんぼりに。
お花をあげましょ桃の花。
五人ばやしの 笛太鼓。
今日はたのしい ひな祭り。
間もなく、3月3日ひな祭りです。
すっかり聞く機会が減りましたね。「ひな祭りの歌」正式には「うれしいひな祭り」という題名だそうです。
皆さんのお家では「ひな人形」飾っていますか?
我が家では、7~8年前から「ひな壇」飾らなくなりました。
「子供が育って、飾る動機がない。」
「出すのも、片づけるのが一苦労。」
ですよね。
「首が取れた。」
「顔が怖い。。」
なんていう声も聞こえてきそうです。
そういえば、「ひな壇」という言葉は、一般的によく使う言葉ですね。
「ひな壇芸人」なんていう言葉もあるようです。
「雛壇芸人、ひな壇芸人」
数名以上のゲストが集まるテレビのトーク番組バラエティ番組において、準レギュラーあるいはそれに類する頻度で出演するお笑い芸人のことを指す。複数段になっている雛壇の後方に座る事が多いため、この名称がつけられた。「にぎやかし」とも言われ、同義語に「がや(芸人)」[1](WIKIより抜粋)
最近は色々な会合で「ひな壇」にあがる機会も多くなってきました。
不快な「ひな壇芸人」にならないよう、前方でも、後方でも、求められる役割を謙虚に全うしていきたいと思います。
そもそも、「ひな祭り」どういう行事なんでしょうか。
日本のひな祭りのルーツは、3世紀前後の古代中国で行っていた風習に基づくといわれています。
中国では、“季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすい”と考えられ、3月最初の巳の日=上巳(じょうみ)に水辺で禊(みそぎ)*を行ったり、盃を水に流して自分のところに流れ着くまでに詩歌を読む「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」を行う風習がありました。
これがやがて遣唐使によって日本に伝えられ、禊(みそぎ)の神事と結びつきます。
当初は、天子(天皇のこと)をお祓いするための儀式であったものが、平安時代には宮中行事へと変化したといわれています。
川のほとりに男女が集まり、災厄を祓う「上巳の祓い」として、「曲水の宴」を催したり、草木や紙などでかたどった人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流す儀式が行われるようになりました。
現在でも日本の各地で行われている「流し雛」は、この名残といわれています。(NTT東日本サイトより抜粋)
*自分自身の身を洗い、清める儀式のこと
各地の「流し雛」一例
京都府京都市左京区「下鴨神社の流し雛」
公募で選ばれ結婚を控えた男女が、十二単に衣冠装束姿に身を包み、桟俵に乗せた和紙人形を境内の御手洗川に流す。京都の名物行事で、毎年恒例の3月3日に行われる。
写真提供:下鴨神社
「戦国時代が終わって上巳の節句(3月3日)が女性のお祭りに」
はじめは宮中の行事であった「上巳の祓い」が、時とともに武家社会へと浸透していきます。やがて室町時代の頃になると日付が変動しないよう、3月3日と固定されました。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今のひな祭りとはかけはなれた、祓いの行事でした。
この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になった江戸時代からのこと。徳川幕府によって「上巳の節句(3月3日)」が「五節句」のひとつに定められ、「人日の節句(1月7日)」「端午の節句(5月5日)」「七夕の節句(7月7日)」「重陽の節句(9月9日)」と並ぶ、重要な年中行事となりました。
もともと「上巳の節句」は男女の区別なく行われていた行事でしたが、「端午の節句」が男の子の節句として祝われるようになったことに対して、3月3日が女の子の節句として定着するようになったのです。
「桃の節句」の意味
「桃の節句」という別名は、桃の開花時期に重なるというだけでなく桃の木には邪気祓いの力があり、節句を祝うのにふさわしいと考えられたことから、このように呼ばれるようになったといわれています。
こうやって、謂れを聞き、見ていきますと、文化には奥ゆかしさがあります。
忙しいと、仕事に追われるのではなく、歴史、文化を知り、残す伝承は、次の代に残していく(「経営理念」人のこころを大事にし、みらいに‘良いこと’をつくる、つなぐ)を実践していきたいと思います。
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